私の人生と音楽

 第10回「音楽活動の拡がり」         佐 藤  迪

 

 第8回で「東京シティ・フィル(TCPO)の創団」の事、第9回で「指揮活動の始まり」について書きましたが、この二つの出来事は私のその後の音楽活動に大きな変化をもたらすことになりました。

 

1979年、東京サロンオーケストラ(TSO)の常任指揮者に就任して打楽器奏者とアマチュアのオケの指揮者(指導者)としての活動が本格化しましたが、仕事の中心は打楽器奏者としてでした。

 

打楽器奏者としての仕事も色々拡がりをみせ、以前(第5話参照)登場された佐藤英彦さんの紹介で邦楽関係の仕事も来る様に成りました。邦楽団体がクラシックの作曲家に新作を委嘱された際に曲が五線譜で書かれているためにクラッシックの奏者が必要とされたという事でした。「紋付・袴」を着て舞台に立つ事が多くなりました。その流れから「日本民族舞踊団」という団体との付き合いが始まります。この団体は日本各地の民族舞踊を世界に紹介することを目的に活動していました。こちらも紋付・袴で私は踊りの伴奏の要(指揮者的役割が有りました)になる祭りダイコを担当しました。

この団とはフランス・スロバキア・リトアニア等海外での公演に参加しましたが、特に印象に残っているのは「イラク」に行けた事でしょう。(イラン・イラク戦争と湾岸戦争の間に平穏な時期があり、たまたまその期間一般人が渡航出来たので行くことが出来ました。バビロンの遺跡で公演をしました)

また、山口恭範さんの関係(第5話参照)から開館したばかりの国立劇場(三宅坂の伝統芸能の劇場)の仕事で雅楽や声明の公演に出演する事になり「烏帽子・直垂」の装束で演奏する等、予想もしなかった分野での演奏活動が広がりました。勿論クラシックの打楽器奏者として全国のほとんどのプロオケのエキストラとして仕事をし、現代音楽の演奏会での仕事等、当時はフリーの打楽器奏者としてトップ・プレーヤーの一人でした。

 

 そのような中、スタジオの仕事を頂いていたマネージャーから「佐藤君はTCPOを創った経験もあるし、指揮もしていると聞いたので、女子高の音楽鑑賞会の仕事をやってみないか」との話が来ました。そこで当時フリーとしていつも仕事で会い、音楽の話が合う演奏家仲間に声を掛けて、いわゆる寄せ集めのオケを編成し、この仕事を引き受けることにしました。オケの名前を付けなければならなかったので「東京プロムナード・オーケストラ」(TPO)と名付け、プロの指揮者としての初めての仕事を無事務めました。これを機会に同じ事務所から同様の仕事を頂けるようになり、他からも依頼が来て「佐藤迪指揮&TPO」の仕事が拡がって行くことになります。

 

 一方、TSOの活動の中で私の音楽人生を決定づける方との出会いが有りました。ヴァイオリンの団員である板橋久子さんのご主人で「板橋正博」さんです。専門は経営分析でしたが芸術や哲学にも造詣が深く、クラッシック音楽にも大変精通されている方でした。TSOを初めて指揮した時から毎回演奏会を聴いて下さっていた様で、私が創る音楽を大変高く評価して頂きました。その後、色々な形で指揮活動をサポートして頂く事に成りました。板橋さんが仕事で関わっておられた団体や企業が主催する様々なイベントにTSOと私を招いて頂き、指揮をする機会をたくさん創って頂きました。

 

以上のような活動を続けるうちに、指揮者としての技術・音楽性を身につけていく事が出来たと思います。

 

 さて、TCPOでの運営の経験と運営委員長という立場から音楽業界を含め色々な方々と繋がりが出来ました。その中で特にその後色々な形で私と関わりが深くなった方がいます。TCPOの事務局長をしていた稲垣純一君が国際線の飛行機の中で知り合った園田さんです。当時ソロシンガーとして独立したばかりの「高橋真梨子」さん(「ジョニーへの伝言」「桃色吐息」等で皆さんよくご存知だと思います)のプロデューサーで、その園田さんから稲垣君を通じて私の処に彼女のコンサートに「弦楽合奏を入れたい」との依頼が来ました。この事を切っ掛けに、その後「真梨子」さんの節目節目の年に女声合唱団・弦楽合奏・オーケストラ等のプロデュースを依頼される事になり、それ以来40年以上のお付き合いをする事になりました。私のプロフィールの中の「ソウルオリッピック選手団結団式」イベント・武道館コンサート・大阪城コンサートはその中でも大きなイベントでした。また、「真梨子」さんとのお付き合いから派生して色々なイベントの演奏部門のプロデュースも依頼されるようになりました。このような経験は私にとって演奏活動とは違った「企画・制作」分野でのノウハウの蓄積に大きな役割を果たしてきました。これらの事は「東京プロムナード・オーケストラ」の活動や「東京プロムナード・フィルハーモニカー」の創団とその後の運営等に生かされたことは言うまでもありません。

 

 この様に、打楽器奏者として全国を飛び回りながら指揮者という「二足のワラジ」で忙しくしている中、板橋さんより「指揮者としてのデビューコンサートをしませんか?」とご提案頂き、私自身も指揮の仕事にやり甲斐を感じていましたので喜んでご好意をお受けする事にしました。

こうして指揮者としてのデビューコンサート「佐藤 迪『モーツァルトの夕べ』」を開催する事が決まったのです。

 

                          佐 藤  迪

 

                                                                    第10話  完   次回へ続く